第3回:ひとつの「切り口」を得た時のこと(前編)【我々は何者か、何処へゆくのか】

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イラストはAdobe Fireflyにて「ひとつの「切り口」を得た時のこと」で生成

市場規模が右肩上がりで拡大し、2023年度は800億円になるともいわれているVTuberの世界。

アニメやゲームとは異なり、ファンと同じ時間軸を生きて、リアルタイムでコミュニケーションできるという新しいキャラクターの形態は、一体何が人の心をとらえて熱狂させているのか。人とキャラクターの間に立つ新しい存在をひも解くためには、おそらく哲学や神学からのアプローチも必要だろう。

そんな経緯から、バンダイナムコでキャラクターライブを手がけ、現在、英国セントアンドリュース大学大学院で神学を学ぶ鈴木直大氏に筆を取っていただいた。

*連載記事一覧 → 我々は何者か、何処へゆくのか


生人間が存在を認識するときの、「高精細」の意味は?

この連載もあっというまに3回目です。いつも掲載直前にはそのタイミングでの内容として必要な修正を行うようにしています。願わくば、世の中にできるだけ不幸な、理不尽な事柄が起こらずその日を迎えていることをと思います。

私の研究テーマは、「非物理的存在に対する愛と認識とはなにか」であり、これをキリスト教での神と信徒の関係から追おうとしています。そして、以前からの友人知人達と近況を話す時、私が、大学院、研究、神学、というような言葉を並べるとほぼ必ず「どうして?」と聞かれてきました(今もです)。それはそうですよね。私は長い間、企画とか、プロデューサーと呼ばれてきました。特に、「企画」という職名は今も一番自分の感覚にはしっくりきます。

その「どうして?」という質問はおそらく二つの意味が混ざっているのだろうといつも思っています。ひとつは、「なぜ、これまでの仕事からその道に入ろうとしたの?」もうひとつは「なぜ、神学なの?」です。そして、じゃあと説明したくて話し始めると、まだ私の中で整理して話せないからか、「???」という顔をされることも多くあります。もちろん、私としては頑張って話しているのですが、まだうまく言えてないようです。それなのに、大学院側はよくオファーをくれたものだと思いますが……。

ですので、今回のコラムでは自分自身もこの「なぜ?」をこれから整理して話せるように、そこに至ったまでの経緯や、きっかけについて書いておこうとおもいます。これもPANORAの広田さんに「面白い!」といってもらったからなのですが、果たして読む方に同じく面白がってもらえるか、それは私の今後の研究活動への大きな試しでもあります。頑張って書いてみようとおもいます。内容は、「なぜ、それを学ばないといけないとおもったか。なぜ、神学なのか」です。


「アイドルをなんとかしてくださいよ」という一言から

直接的なことの始まりは、バンダイナムコエンターテイメントに勤務していたときに、当時私のいた部門でのクリエイティブのトップからこの言葉「アイドルをなんとかしてくださいよ」と言われたことでした。今思っても、なかなか謎なひとことです。ですが、当時の状況からその意味を私はこう捉えました(もちろん、確認もしました)。

それは、2016年の夏ごろのことだったと思います。当時すでに同社・同社グループはいくつものいわゆる「アイドルもの」のコンテンツで大成功していました。そもそも、その指示を私にした当人がそのうちの大きなひとつのオリジナルのクリエイターです。そしてその当時、私たちはいわゆるVRという言葉を多く使う日々でもありました。実態としては、ゴーグル型の機器を装着してヒトの視覚や聴覚になんらかの情報を入れることを特徴としたコンテンツについて多くの人が努力していました。

その中で、「でも」と考えられていたこともいくつかありました。

その一つは、いわゆるVRゴーグルの大きな弱点の一つ、「装着者は、装着者としてコンテンツに没入するが『みんなで楽しい』が実現できない。ゴーグル型の機器と『みんなで』『見てる人も』はとても相性が悪い」への直面でした。体験しているものの楽しさを「みんな」で共有できない。言ってみれば、ゴーグルの中に表示されるアイドルと二人っきりの密かな時間は楽しめても、ライブステージの再現は難しいままでした。そこには「みんな」という概念がないので、コントローラーを用いてのYes/No形式のような擬似会話をするものが多かった記憶があります。

そして、もうひとつの「でも」は、すでに当時、他社は多く実施していた「実際のライブ会場等での、大型スクリーン等にコンピューターグラフィクスでの等身大キャラクタを投影したライブショウ」が、当時の私たちには「大成功」に見えていない、ということでした。「まだ、もっと盛り上がれる余地がある」あるいは「大変な手間とコストをかけている事例もあるが、ビジネスとして合っていないと予測する」と捉えていました。それは、当時我々が調査した先行事例の客単価や、実際に視察にいったライブの様子からの判断でした。

なお、もちろん各社はそれぞれの思想で大変な努力と挑戦をしていますのでその意味や価値には大変な尊敬を感じます。それでも、従来のヒト(この頃から、これを「生人間」(なまにんげん)と呼ぶようになりました)によるライブステージとの比較では「いまひとつ」という印象を私は持っていました。そしてそれは当時、解消される様子を見せていませんでした。そしてそのことは、当時のひとつの大きな話題でした。

つまり、彼の「アイドルをなんとかしてくださいよ」という言葉は、「ライブ会場等を用いた、等身大のCGキャラクタによるライブステージを、もっと盛り上がるものにしてくださいよ」という意味でした。ついては、私はあまりひらめいたりすごい発想ができる企画/プロデューサーでもないので、改めて、まずは愚直にいろんな情報や知見、意見を集め始めました。

特に、私のバンダイナムコ在職時ほとんどの期間において、近かったり遠かったりもしましたが結果として私の上司あるいは上司筋であった、同社ゲームクリエイターの相木伸一郎氏にはすぐに相談に行きました。彼も、私に指示をした者と並行する同社アイドルタイトルのオリジナル開発者のひとりです。まずは、二人で既存ですでに行われているCGアイドルライブを沢山見に行きました。当時は男性キャラクターによる女性客向けのものがほとんどで、私たちはいつも最後列の席にいました。つまりは女性客の集団の中でそれなりの年齢の男性二人、片方は大変背の高いビジネスマン風、片方は迷彩服が定番のオタク風、どちらがどちらかは置いておいて、きっとお客さん達からは異様に見えたと思います(なおその後、そういう「関係者」っぽい人のことは『(キャラクターの)保護者』と呼ばれているということを知りました)。


その上で、私たちは実際に現場で「見た」ものや、それについての各自の捉え方を話して「つまり、お客さん達は『なにをしたい(どうなりたい)』のだろう」ということを議論しました。つまり、もし未だ「もっと盛り上がれるはずなのに」ということが事実ならば、それは「お客さんは、ほんとは望んでいる「なにか」に未だ不満足なのだ」という仮説がとれます。ならば、その「不満足」な部分を見つけて、それを埋めればいいのです。

実は、お客さんが望んでいること(そしてその当時まだ不満足状態と判定できたこと)はわりとすぐに抽出できました。もちろんこういったことは大変複合的な事柄ですが、その中でも、おそらく大きな一つ、と判定できた事柄でした。同時に、「ここを頑張っても仕方ない部分(お客さんはそこは重視してない)」も仮説として抽出しました。なお、その議論や抽出の仕方には、どういったところに着眼してどう思考を進めるかというナムコ由来の独特な方法を用いました。これについては当然公開すべきではないことですが、その手法は大変強力であったことは間違いなく、特に、相木氏はそのメソッドの使用に大変長けているひとでした。

私たちが判定したのは、つまり、「お客さんは、そのキャラ、が、居ると信じたい気持ちを肯定(背中を押)されるという体験を求めているが、未充足」であり、同時に、「音や映像等の高精細化、あるいは量的向上では、この解決方法にはならない」という事柄でした。なぜなら各社はすでにそれをしていました。また、当時のメモには相木氏の文字で「うまい歌を聴くだけだったら、CDのほうがいい」等の記載が残っています。

そうか、じゃあそれを……。と思いました。ですが、そこで私たちは気づきました。つまり、「映像や音響をもっとよく、もっと量を多く」は解答ではない、となると、技術系企業としての従来の我々のクオリティーアップの手法の多くが封じられます。もちろんそこは、「映像」ではなく、インタラクティブな「ゲーム」のノウハウがありますので全くの手ぶらではありませんが、「じゃあどうやって」は全く見えません。

あるいは、ものすごくお金をかけて、当時もすでにあった「モーションキャプチャーをリアルタイムに、そのキャラの声優にリアルタイムで声を当てて」というのもあります。ですがそれでは大変コストのかかる、しかも、マシンによるライブであるメリットが得られません。これもすでに試算を出していました。なにより、それをやった結果が「良い」とは断言できません。だったら、従来の「その声優がキャラの衣装を着て歌い踊る」ライブのほうがよい、という判定になる可能性大です。言ってみれば、これもある種の「とにかく高精細に、ハイコストに」のひとつです。

相当困りました。そして当時のことから私たちは自分たちのことを「電気おじさん」と呼ぶようになりました。その意味は、「なんでも技術的に高度だと『良い』と判定したがる、今回の気づきを用いた工夫の品位判定には不向きな我々」いう意味であり、もはやそれは「つまり我々は自身で品位判定や効果判定すべきではない。だって電気おじさんなんだもの」という、これもこれである種の気づきでした。

すでに時期は、秋になっていました。正しい気づきを得られたならそれはそれで十分意味のある検討期間ですが、私はその後「年度内には、なんか実証してください」と追加の指示を受けていました。開発期間や、実際のライブステージを行って検証するなら場所の設営等、半年もありません。正直、「どーすんのこれ」と自分でも思ってました。ですがもちろん仕事ですので、期限内になんとかしないといけません。

ついては、当時いろいろものを考える時によく行っていた某喫茶店で、おれどうするの、どうするの、と考えていたころ、たまたまその近くに買い物にきていたナムコのOBで、私がその感覚や思考の深みを大変信頼しているT氏がお茶につきあってくれました。そして、その状況を話すと彼は「あぁ、そういうことだったら」と、彼の大学生時代の経験を話し始めました。それは、もともとは教員になりたくて教育系の大学に行っていた当時の彼が、子供向けの人形劇サークルで頑張っていた頃の話でした。

彼の表現を借りれば「なぜ、ただの土くれの、表情も変わらない、そんな頭部がついてるだけの人形なのに、子供達はその上演に熱狂するのか」そして「同じ理由に根ざした、経験浅い一年生公演でよく発生する失敗例」について。この話が、その後の私たちの突破口になり、それはその後のさまざまな成果や結実につながっていきました。

では、そのT氏の話とはどんなものだったのでしょうか。それは次回の後編で書こうと思います。

●著者紹介 鈴木直大(すずき なおひろ)

1970年生まれ。現在、英国セントアンドリュース大学(University of St Andrews))大学院 (神学)に在学中。並行して某キャラクタビジネス企業グループにて研究職・プロデューサー。

立教大学文学部卒業後、ソニー株式会社(現、ソニーグループ株式会社)に入社。主に商品企画を担当し、その後設立した自社事業ごと株式会社バンダイナムコエンターテインメントに入社。同社プロデューサーとして操演型CGキャラクタライブシステム(ツーエックス方式)を立ち上げた経験から「物理としては居ない『なにか』の存在を感じる」ことに関わる「実存感」という概念への気づきを得て、研究と発表を続けている。